"ポルポト"

カンボジアの歴史

ポルポトの虐殺の歴史をいかにして次世代に伝えるかという問題

ポルポトの大虐殺の歴史からすでに40年の歳月が流れ、現在の学生たちは全くそのことを知りません。 では、現地カンボジアでは、この歴史的事実をどのようにして次の世代に伝えているかをご紹介したいと思います。 特に際立って目に付くのは、プノンペ・・・>>記事を表示する
活動レポート

ポルポトの記事へのご意見をいただきました

ブログにてカンボジアについて様々なことを発信していると、いろんなご意見を頂けます。 これは、発信者にとっては、読み手がどのようなお気持ちで受け止めていらっしゃるかがよくわかるという点で、大変貴重なことです。 まずは、ブログを楽しみにして・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

【大量虐殺の責任は誰に】ポルポトの最後と幹部たちのその後

ポルポト政権崩壊後の複雑な歴史 1978年12月25日、ベトナム軍と反クメールルージュ軍であるカンボジア救国民族統一戦線がカンボジアに侵攻。 クメールルージュ軍は北部カンボジアに逃走し、1979年1月7日にプノンペンが解放されます。・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

ポルポト政権後のカンボジアについて考える

カンボジアと言えば、ポルポト政権時代に行われた虐殺のみがクローズアップされがちですが、今日は、その後の歴史について触れてみようと思います。 ポルポト政権時代に再教育と称して行われた、非人道的な虐殺についてはこちらの記事をお読みください。 ・・・>>記事を表示する
活動レポート

ポルポト時代を生き抜いたカンボジア人女性ポンナレット久郷さんの存在

トップのお写真は、久郷ポンナレットさん。 私がカンボジアを支援する理由の一つになっているのが、この方の存在。 現在、日本に住んでいる正真正銘のカンボジア人です。 彼女は、1975年~79年の間のポルポト政権下のカンボジアで、ご両親と兄・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

ポルポト政権とクメールルージュの全容がすべてわかるアプリ

カンボジアの近代史を語る上で、必ず人々の関心を呼ぶのがクメールルージュ支配下の出来事。 ポルポト政権時代の民主カンプチアの国旗。 この赤い国旗が意味するものを、私たちはもう一度考える必要があります。 この時代に、200~300万人・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

【170万人の虐殺】ポルポト政権が3年8カ月の間に行ったこと

1975年4月17日 人々は悪夢を見た 1975年4月、ベトナム軍の支持を得たポルポト軍が破竹の勢いで、首都プノンペンに迫ってきました。 ベトナムの戦局が悪化していたアメリカ軍は、カンボジアからも撤退し始めていました。 もはやこれ・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

1975年4月17日 ポルポト政権が生み出した負の遺産の始まりの日

この記事は、ポルポト政権が生まれた背景の続きとしてお読みください。 フランス統治時代のプノンペン 1970年代、プノンペンは、当時「東洋の真珠」と呼ばれ、アジアでも指折りの大都市でした。 西洋風の建物におしゃれな街並み。 市場に・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

【忌まわしき虐殺の時代】ポルポト政権が生まれた背景

カンボジアの歴史を語るとき、誰もが大虐殺が行われたポルポト時代だけに目が向きがちですが、時代の流れには必ずその時の世界情勢が関わっています。 そこで、ポルポト政権が台頭した理由を時代背景を含めて解説したいと思います。 第二次世界大戦後の・・・>>記事を表示する
カンボジアの歴史

【ポルポトの虐殺の展示】トゥールスレン博物館とキリングフィールド

プノンペン中心部にあるトゥールスレン博物館は、虐殺の歴史を現在まで保存してある貴重な史跡です。 正式には、トゥールスレン虐殺犯罪博物館と言います。 元は、高等学校ですが、教室が収容所、監禁場所、そして拷問の場所として使用され、ここで・・・>>記事を表示する