【Iさんの活動記】教員養成校と地方部の小学校への支援訪問

活動レポート

皆さん初めまして。

チアフルスマイルインターン生のIです。

2022年3月25日、26日にかけて同じくインターン生のTさん、代表の松田さんと共にスバイリエン教員養成大学とベトナム国境近くのBRASBLEAK小学校への図書支援に赴きました。

活動の行程についてはTさんが詳細に記されているので、こちらでは割愛させていただきます。

本記事ではこの旅で私が気づき、感じたことにフォーカスを当てて記そうと思います。

興味がある方は是非Tさんの記事もお読みください。

スバイリエン教員養成大学にて

早速ですが皆さんに問います。

国際支援の場において、最も大事なこととは何でしょうか。

国際支援に関心のある方もそうでない方も一度、読むのを止めて自分なりに考えてみてください。

お金、人材、根気、健康などなど沢山出て来ると思います。

もちろんどれか一つでも欠けては支援活動に支障が出てしまいます。

方程式のように何か一つの明確な答えがあるわけではありませんが、私は

「謙虚な姿勢」

だと考えております。

現地の生活を軽んじ、見下すような姿勢では支援など成功するはずがありません。

関係を築くどころか、むしろ壊すことに繋がってしまいます。

その意味で、私は驕らない謙虚な姿勢が不可欠だと考えています。

 

なぜこんなことをいきなり書いたのか。

それというのも、私がインターンシップ活動で全く謙虚な姿勢になれていなかったことに、教員養成大学を訪れたときに気が付いたからです。

スバイリエンの教員養成大学にて、私たちはありがたいことに、そこに通う大学生と交流する機会を頂きました。

いくらか話をしていると、このような質問を受けました。

「あなたたちは何故カンボジアに来たのですか?数ある国の中でどうしてカンボジアを選んだのですか?」

私はその質問に答えられませんでした。

自分の中で答えがなかったわけではありません。

実際、カンボジアに渡航する前は、家族や友人から同じような質問を受けすぐにこう答えていました。

「高校生の頃から国際支援に関心を持ち、大学ではそれについて学んできた。座学だけではなく、実際に自分の目で支援の現場を見てみたい。カンボジアは教育をはじめ様々な面で支援を必要としている国だ。だから私はカンボジアに行きたい。」と・・・。

 

しかし、いざ現地の人を前にしたときそのようなことは言えずその場で固まってしまいました。

この言葉に、どれだけ自分の驕りが含まれているのか初めて気が付いたからです。

あたかもカンボジアが後進国で、国民は苦しい生活を送っていると決めつけてしまうような、支援を「してあげているんだ」というような態度が表れた発言です。

いくら無償で行う支援だとしても、あくまで私たちは外国人のよそ者にすぎません。

現地社会にお邪魔させてもらっているわけですから、謙虚な姿勢で現地の文化を敬う必要があります。

愚かにも、私は2か月弱滞在していて、そのことに気が付けませんでした。

というより、むしろ自分は出来ている気でいました。

過去の自分を悔やむと同時に、そのことに気が付けたのは本当に嬉しいことだと感じています。

 

国際支援の現場では、現地で実際に活動する人々がその国の代表となるわけです。

現地の方たちは私たちがどのような人間なのかよく見ています。

一挙手一投足に気を配り「してあげる支援」ではなく、「させていただく支援」であるかどうか常に自分に問い続ける必要があるのだと改めて実感しました。

BRASBLEAK小学校にて

次に訪れたBRASBLEAK小学校は1年前に電気が通り始めたという地区にあり、日本と比べたら、(もちろん普段活動しているコンポンスプー州の小学校よりも)はるかにインフラ、ハード面が不足している学校でした。

教室が不足しているために一つの教室が、教室・職員室・図書室の3役を兼ねていたり、屋外にトタンでつくられた仮設教室がありました。

半径数キロ圏内に舗装された道はなく、小さな集落が1つあるだけで茶色い平野が広がっているだけの場所です。

荒涼たるこの地で、私が見たのは先生方の温かな気持ちです。

私たちが小学校に到着するとその場にいた先生方全員で手厚く迎えていただきました。

先生の中に一人英語が堪能な方がいて、その方にクメール語を通訳していただきながらお話しました。

校長先生は学校の概要や、支援によってつくられた校舎やトイレなどの説明を懇切丁寧にしてくれました。

話をしていく中で驚いたのは先生方の積極性です。

先ほど挙げた屋外の仮設教室は、先生方が自分で作った。
雨水の貯水タンクは保護者から寄付を募り設置した。

とのことです。ただ支援を待つだけではなく自ら行動し変えていく姿に、心から子供たちのより良い教育を願っているのだと強く心打たれました。

まとめ

カンボジアにおいて教師は、ある程度ステータスの高い職業とされています。

しかし私が見てきた大学生、現役の先生方の中に偉そうにする人は居らず、慎ましく実直に生徒を思う気持ちで溢れていました。

日本とはあまりにもかけ離れた教育の現場を見て、ついついカンボジアと日本は別の世界だと捉えてしまいがちですが、先生たちの持つ「子供が好きで、彼らの将来を良いものにしたい」という気持ちは日本だろうがカンボジアだろうが共通のものです。

 

教師や教材の不足、インフラ整備や退学率の多さなどカンボジアの教育に様々な課題があるのは事実です。

しかし厳しい試験を突破し、子供たちの将来のために教師を目指す大学生。

限られた資源の中で地域を巻き込み、生徒たちの教育環境向上に奮闘する先生方の姿を見ていると、カンボジアの未来は明るいなと感じました。

私たちがいる意味とは、きっとその未来を一緒に拓いていくことなのでしょう。

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