自己肯定感という観点で見るカンボジア

活動レポート

先日、ある会議において、

「自己肯定感の高い人と低い人の違い」

と言うタイトルで講義をさせていただきました。

私は、自己肯定感とは、不安や怒りなどと同種の感情のはたらきの一つだと考えています。

その中で、取り上げたことをいくつかご紹介します。

自己肯定感の定義

まず、世間では、「自己肯定感」と言う言葉を誤って解釈しているケースが多々見られるということです。

例えば、

周りのことを考えずに自信満々で行動している人に対して、あの人は自己肯定感が高い。
バスの中で、堂々と足を組み、新聞を広げて読んでいる人を、堂々としていて自己肯定感が高そうだ。
ブランド品に身を固めて、高価な装飾品を身に付けて、胸を張りながら街を歩いている女性を見て、自己肯定感がすごく高いと感じる。
このような姿を自己肯定感と考えるケースが見受けられます。
では、正しい「自己肯定感」とは、何でしょうか。
それは、
自分は自分でいいと思えること
です。
自分に満足できている
自分に価値があると思えること
自分自身のすべてを受け入れられること

つまり、

自分自身にOKを出せている心の状態

を指して、自己肯定感が高いと言うわけです。

日本人の自己肯定感は思いのほか低い

ここで、自己肯定感に対する内閣府調査(2014年)を見てみましょう。

日本・韓国・米国・英国・ドイツ・フランス・スウェーデンの国際比較結果によると、「自分自身に満足しているか?」の問いに対し、「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」と答えた割合が、他の国は70%を超えていた一方、日本はたったの45.8%だったそうです。

驚きの結果ですね。

この結果には、謙虚や控えめを美徳とする日本人の精神が多分に含まれているかもしれませんが、実際に日本人に自己肯定感が低い人が多いというのは私の経験上でも感じることです。

要因を分析すると、

①文化的な背景・・・謙虚・謙遜が美徳とされる風習
②学校教育・・・人に迷惑をかけない・協調を重んじる教育
③家庭でのしつけ・・・周りとの比較・成績で評価・良い子教育

があるものと思います。

文化的な基盤の上に、個人の特性を最大限に生かすことよりも、周囲に協調することや迷惑をかけないことを優先して教え込む学校教育。

そして、そんな教育を受けた子どもたちが親になり、子供にしつけと称して、個性を奪うような点数主義の良い子教育を施す。

こういった負のループを現在の日本からは見て取れます。

自己肯定感の高い人と低い人の比較

次に、自己肯定感の高低でどのような違いがあるのかを比較してみます。

自己肯定感が高い自己肯定感が低い
自己評価を最優先する人から良い評価を得ることに執着する
人に好かれようとする意識が薄い「いい人」を演じようとする
自分はできると考える自分には無理だと考えやすい
普段着でも輝いているブランドで身を飾る
心配事をもちにくいいつも何かを心配している
自分の力でものごとを成し遂げようとする他人に依存しやすい
周りの目が気にならない他人からの目を過度に気にしている
自分が一番と考える自分より他人を優先しすぎる
行動を起こすときにまず成功をイメージする失敗をイメージするため行動できない
人の成功を心から喜べる人の成功をうらやましいと思う

自己肯定感の持ち方一つで、こんなにも違うのです。

自己肯定感が低いと、明らかに幸せな人生を歩めない感じがしてきませんか。

自己肯定感を正しく認識する

下の4つは、似ていますが自己肯定感とは意味の異なる言葉です。

①自信 ②自尊感情 ③自己効力感 ④自己有用感

その違いを明確にしながら、自己肯定感の意味への理解を深めていきたいと思います。

①自信

自信とは、自分の能力やステータスなどを根拠にしたものです。

例)何らかの資格を持っている。

課長に昇進した。

試験に合格した。

大きな財産を持っている。

それに対して、自己肯定感とは、性別・年齢・職業などに一切関係なく、今何かを持っているとか、社会的に高い地位にいるとか、こんな経験を積んでいるとか問われることなく、人として誰もが持てる感情です。

本当の意味での自己肯定感は、根拠性とは一切関りのないものだと考えてみてください。

②自尊感情

自尊とは、「自分を(他と比べて)優秀だと思うこと」「プライド」と定義されます。

能力やステータスを根拠にしているという点、自己優位性が潜むという点において、自己肯定感とは質が異なります。

自己肯定感には、自尊感情の概念が含まれますが、そこに他者比較が入るものではなく、他者への尊敬や感謝も伴うものであると考えます。

自尊心=他尊心

ですから、例えれば、ネット上で批判・中傷を繰り返す人、他者を激しい言葉で攻撃する人に、自己肯定感の高い人はいません。そんな人は、心が自己尊大感に傾いているのかもしれません。

自尊感情という言葉は自分中心のニュアンスが強いため、自他ともに尊厳を持つという点で自己肯定感とは区別してください。

③自己効力感

自分の目標達成能力に対する信頼感を指した言葉です。

例)大きな仕事を任されたときに、自分ならきっとできると思えること。

自己効力感は、目標達成能力に関係している一方、自己肯定感は自分の全面的な価値への肯定感情である点で、区別されるべきものです。

④自己有用感

自己有用感とは「自分は他人の役に立てる人間である」という感覚です。

例)「テストの成績が良くて親に褒められた。」

「仕事で良い評価をもらえて嬉しかった。」

「イベントの企画に喜んでもらえて良かった。」

これは、「他者からの評価」を条件に自分を認めている点で、自己肯定感とニュアンスが異なります。自己肯定感は、無条件で自分の価値を認める感情がベースになります。

 

まとめると、自己肯定感とは、

・根拠を必要としないもの。
・他者への尊厳を持つもの。
・無条件に、自分ならできる、自分は持っていると思うこと。
・他者の評価に関係なく、自分に価値があると思えること。
と言えます。

カンボジア人の自己肯定感

上記で述べた自己肯定感の概念をもとに、カンボジアの人々の心の在り方について、私見ではありますが分析してみたいと思います。

根拠を必要としない

ご存じの通り、カンボジア人には、学歴がない人が半数以上を占めているし、社会が認める資格の存在なんてほんの一握りで、無資格でやっている人が多いです。小型二輪に免許不要なんてことも、カンボジアでは根拠性が重要視されない社会であることを示す材料の一つです。

他者への尊厳

カンボジアの人の心には、仏教文化が根付いています。街の交差点で物乞いをする人に小銭を渡している若者の姿を見るにつけ、「施しをする」ことが人々に根付いているように思います。

私の友人は、カンボジア人は自分のことしか考えていないとよく言います。確かに、そういう人々もいますが、明日食べることが困難だったら、まず自らの腹を満たす思考を持つのは人間誰もが同じことです。実際には、カンボジアも単一民族ではなく、○○系と言われる人々が多種存在していますので。

私は、これまでの経験から感じていることですが、カンボジア人はプライドが高く自分への尊厳が強いですが、他者への尊厳をも大切にする民族であると思っています。

その裏付けとして、カンボジア国歌は、「クメールの誇り」を声高々に歌っています。対して、日本の国歌「君が代」は、人のために・・・ですよね。これは、面白い発見です。

無条件に自分ならできると思う

当然、学歴のない人が就く職業は限られます。例えば、モノを売る、自分でビジネスを起こすなどでしょうか。現在、商売をしている半数以上のカンボジア人は、それに該当しています。彼らにとって、できるかできないかなどと考える余地はありません。食べていくためにはお金を稼がなくてはならないという理由があるからです。そこに、怖れや不安などは感じることはないでしょう。無条件にできると思うかどうかはともかくとして、思い立ったら即動き出すその行動力には見習うべきものがあります。

他者評価を気にしない

カンボジアも、結構人目を気にする社会ではあります。かつては共産主義が支配した国ですから、密告を怖れる感覚は日本人の感覚では分かり得ないものがありましょう。私なんかは、ここでは外国人ですので、やることなすこと常に近所に見られていますが(笑)・・・。

そんな監視社会にあっても、他人にどう思われるかを気にしている人が多いかと言ったら、それほどでもないように感じます。例えば、多少古い服を着ていようとも、ぼろいバイクを運転していても、現在のカンボジアの社会の中に在っては、多少気にならないからでしょうか。

そんなことにはいちいちかまっていられないというのも、マインドとして働くのかもしれません。それも、私たちにはエネルギッシュに映るのでしょう。

日本の高度成長期とその衰退

カンボジアに来た日本人が、実際に当地の人々に触れて感じるのは、

・笑顔

・親切

・日本に友好的

などです。

このとき、ある若者が言った言葉を思い出します。

「カンボジアには、今の日本に無いものを感じる。」

建設ラッシュに沸く街の変化や活気。

活動的でエネルギッシュな人々。

 

そんなところを自分の目で見て、感じ取るのかもしれません。

 

私は、この根底に、自己肯定感の在り方の違いがあるような気がするのです。

先に、自己肯定感は、感情だと申し上げました。

将来への不安で閉塞感に満ちた日本

これからも経済成長を続けるカンボジア

社会的な背景があまりにも違います。

 

日本の戦後の歩みを今のカンボジアに見るとおっしゃるご高齢の方もいらっしゃいます。かつて、ベビーブームの中で生を受け、団塊の世代と言われ、そして高度成長を支えてきた世代の方です。

戦災孤児であふれていた終戦直後

建設ラッシュに沸いた高度成長期

しかし、1990年代から、日本経済はその勢いを失っていきます。

下の表は、賃金指数を国際比較したグラフです。

oecd.statより全労連が作成した資料より抜粋

90年後半から、日本の経済がいかに低迷し続けているかを示しています。

20年後のカンボジア

実は、先に挙げた「自分自身に満足しているか。」の統計数をカンボジアで取ってみたら、説得力も増すことでしょうが、私には、少なくとも、日本よりも数値は高くなるだろうと思えるのです。

ただ、カンボジアが将来的に、学歴を積み、人々が富を築き、家や車を持ち、規則を遵守する社会になったときに、この自己肯定感が現在の日本のように下がっていくことを心配しています。

なぜなら、私は、今のカンボジア人が好きだからに他なりません。

20年後に、カンボジアはどんな社会になっているのでしょう。

その中心的役割を果たすであろう、今の子どもたちを心から支援したいと思うのです。


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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