プノンペンに残る旧ソ連の名前

活動レポート

カンボジアには、旧ソ連と関連する地名がたくさんあります。

まずは、

クメールソビエトフレンドシップホスピタル

現在、数名のコロナの患者が隔離されています。

Toul Tompong Marcket(俗称 ロシアンマーケット)

民芸品が豊富な外国人に人気のマーケット

Russian Federation Blvd(俗称 ロシアン通り)

空港から中心部を結ぶ大通り。

 

さて、カンボジアとソ連とのつながりとはどこにあるのでしょう。

実は、ソ連とつながりの深いのはカンボジアではなく、ベトナムです。

第二次世界大戦後、いち早くベトナム民主共和国との国交を結んでいて、1960年代のベトナム戦争では、武器や戦争物資の援助を続けていたのもソ連です。

ベトナムは、中国とは国境紛争がありますが、ソ連とはずっと友好関係でつながってきた国なのです。

ベトナム国民は、ベトナム戦争でアメリカを撃退できたのはソ連の支援によるものと考えており、多くの国民が親ソ感情を持っています。

さて、そのベトナム軍は、1979年1月ヘンサムリン政権誕生以来、1989年9月までカンボジアに駐留しました。

その間に、国家体制・政治・経済など様々な分野で、ベトナム色に染まるうちに、ソ連やロシアの名前も付けられていると考えられます。

そういえば、プノンペンには、ハノイホーチミン通り、毛沢東通りもあります。

共産党色の強い名前がついていますが、カンボジアは共産党国家ではありません。

80年代のペレストロイカに始まった、脱共産主義の流れを受けて、中国・ベトナムも経済開放路線を歩んでおり、東アジアにもはや共産主義がドミノのように押し寄せてくるという妄想は、過去のものとなっています。

 

ペレストロイカ後のロシア、2014年モスクワ クレムリンです。

 

ここモスクワでは、戦後70年が経った今でも、毎年5月9日、ナチスドイツに勝利した戦勝記念式典が行われています。

軍事パレードも盛大に行われます。

式典には、友好国の要人が招かれます。ベトナムの首脳も出席していますね。

ロシアは、非常に情報統制が厳しい国です。

写真一枚とるにも、ちょっと勇気が必要でした。

町並みは、ヨーロッパ調できれいです。

オペラ座。

第二次世界大戦では、2800万人もの命を失っているソ連。

その数は、日本の300百万人の10倍です。

勝利は民族の血で勝ち取ったものだと、戦勝記念日は、毎年の恒例の国家的行事として位置づけられています。

カンボジアも、

1月7日 虐殺政権からの解放日
11月9日 独立記念日

は、大きな国家行事が行われます。

カンボジアの話題ではありませんが、ロシアとカンボジアとのつながりという視点で書いてみました。


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