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カンボジアを支援する理由

カンボジアを支援する3つの理由

なぜ、カンボジアへの支援なのかとよく尋ねられますが、私には3つの理由があります。

1つ目は、幼少時の夢見にあります。

私は不思議なことに、幼少のころ、真っ黒に風化した石造りのお城のようなものがよく夢に出てきました。その建物にはいくつかの塔があり、天に向かってそびえているのです。そして、周りは、ツタの垂れ下がる密林に覆われています。あたりには、苔むした匂いがしています。そして、その中で数多くの仏像が私に向かって微笑んでいるのです。これが、アンコールワットであり、バイヨンであり、タプロームであることがわかったのは、私がはじめてこの地を訪れた時でした。魂が感じたとでもいうのでしょうか、ずっともやもやとしていた霧がさっと晴れた瞬間でした。この地に立って、ここに自分の使命があると確信しました。

2つ目は、ドイツに住んでいた経験からです。

私は、30年あまりの教師生活の中で、3年間ほどドイツの学校に勤務した経験があります。私は、教師になる前から、海外で働きたいという思いを持っていて、それが実現したのは、教師になって10年たった時でした。誰もが、気楽に海外旅行を楽しむ中、自分は使命を持って海外に行きたいとずっと強く願っていました。だから、海外渡航はこの時が初めてだったのです。

そこで得た経験は、とても大きなものでした。言葉環境、生活習慣の違い、外国人でいることの辛さなど、すべて身を持って体験しました。そして、ここで生涯付き合っていける親友もできました。

現地社会に入り込むほど、様々なことが見えてきます。中でも、人々が潜在的に持つ人種差別意識には、問題意識を持ちました。長く住むとわかるのですが、ヨーロッパでは、アジアの国々をとかく見下しがちです。日本人には、それほどでもないのですが、東南アジア諸国の人々へ向けられる目には冷ややかなものがあります。私は、同じ人間が国籍が違うだけで、このような偏見を持つことにずっと疑問を感じていました。

3つ目には、カンボジア人女性ポンナレットさんとの出会いがあります。

上の写真は、彼女が6才くらいの時で、家族と共に幸せに暮らしていた時のものです。

でも、1975年4月ポルポト派が首都プノンペンを制圧すると、この都市はゴーストタウンになりました。知識人は捉えられ、彼女たちは家族ともども数百キロメートル離れたコンポントムという村まで歩いて移動し、そこで数年間強制労働を強いられました。その辛い生活の中で、彼女は、ご両親と6人の兄弟を次々に亡くされました。

 最後に、一人ぼっちになった瞬間、気力や体力を失い、そのまま気を失い、気がついたら病院にいたそうです。

彼女は、日本に国費留学していたお姉さんのはたらきかけもあって、1979年に運よく難民として来日しました。

日本の学校を類まれな努力で卒業し、今では日本全国で講演活動を行いながら、ご自分の国で起きた忌まわしい出来事を人々に語り伝えています。

過酷を極めたカンボジアでの実体験を、今でこそ話す彼女ですが、初めは、こうした経験を語ることは「母国の恥」と考えていたと振り返ります。

でも、現在は、「私のように生き延びた人たちこそが、当時の身内の内戦を語るべきなんだ」「世界中の子どもたちを守らなければならない。わたしたちが経験したような思いを、子どもたちに味わわせてはいけないんです。」と強い眼差しで訴え掛けます。

私は、これに強く同感します。

歴史を正しく認識し、当時そういう政権が誕生した事実と原因を、当時の世界情勢とも抱き合わせてきちんと理解することが大切です。

そして、そこから、戦争は決して起こしてはならないとの思いを再認識するのです。

祖国の誇らしくない歴史を語り続ける彼女への同胞からの風当たりは強いのですが、それにも負けずに信念を貫き通す姿勢を、私は心から尊敬しています。

自分の支援活動のエネルギーを奮い立たせてくれたのは、彼女の存在があったからに他なりません。

「40年たった今、無事に生き延びることができ、平和な日本で暮らし、すてきな娘にも恵まれました。

改めて、「生きることはすてきなことだと実感しています。」と彼女は、講演をこの言葉で締めくくります。

彼女は、その功績が認められ、今年、女性文化賞を受賞しました。

ぜひ、多くの方に彼女の存在とその書籍を読んでいただければと思います。

久郷ポンナレットさんのホームページ

ちなみに彼女のお姉さんペン・セタリンさんは、日本では最も有名なカンボジア人と言われています。

日本で初めて、カンボジア―日本語の辞書を監修された方です。

フンセン首相が来日した時には、側近の通訳として活躍されています。

尾木ママ推薦!
1970年代、カンボジア。10歳の少女が体験した戦争。
著者が体験した悲劇のあまりの凄惨さに言葉を失う。
過酷な環境を生き抜いた彼女が、今この国で命をつなぎ、共に生きているということ。
その平和を守れるのはほかでもない私たち自身であることを忘れてはならない。(教育評論家 尾木直樹)

我々が目指している支援の形

自分がここにいるのは、様々なめぐりあわせがあり、それは運命とも感じています。

でも、この活動は、国内にいたら、決してできないことです。

実際に、現地に来て人々と接し、暮らしを肌で感じ、カンボジアの地方の教育現場を自分の目で見届けてきたからこそ、本当の姿がわかるし、そこから真の支援の必要性を実感できます。

ある時、善意の心で日本から送られてきた使い古しの鍵盤ハーモニカが、ある小学校の職員室の隅っこに、段ボール箱に詰められたまま、山積みされているのを見たことがあります。

不要なものを与えることが支援にはならないことを知ってください。

そして、単にものを与えるだけの支援では、実になる支援にはなり得ないということです。

「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」

これは、教育アドバイザーの活動の時のテーマでした。

私が、単にものを与える支援ではなく、教育の質的な支援活動を行ってきたことが大いに役に立っています。

そして、その時の教員養成大学やカンボジア教育省とのつながりも私たちの活動の大きな支えになっています。

質的な支援は無形ですが、心に永遠に残ります。

図書という物質支援をしながら、活用という質的支援にもつなげていく。

これが、我々の行っている支援の形です。

でも、支援は、決して一人の力で行うものではありません。

たとえ、小さな力でも多くの方の力を束ねて大きな力にしていく。

皆様方に活動を積極的に訴えかけ、パワーもいただきながら、活動の力にしていきたいと考えています。

国際協力非営利活動法人「チアフルスマイル」