ごあいさつ

わたしとカンボジアとの接点

カンボジアの子どもたちへの思いが、チアフルスマイルの原点です。

皆さま、はじめまして。

国際協力NGO「チアフルスマイル」代表の松田と申します。

私は、かつて、国境なき教師団の一員として、カンボジアのスバイリエン州教員養成大学に教育アドバイザーとして勤務し、教官や教師の卵たちである学生たちに指導法や教材の活用方法を指導してきました。

ある日、教育実習をしている学生を指導訪問するために、ベトナム国境近くの小学校を訪問しました。

校内に一歩足を踏み入れた私は、校内の設備や備品の貧弱さに愕然としました。

下の写真をご覧ください。

これが300名の生徒たちが在籍する学校の図書室です。ぼろぼろになった薄っぺらな本が20~30冊ほど置かれているだけです。

上水道はありませんから、生徒たちは、毎日井戸から飲料水をくみ出して教室へ運んでいます。

なんと、電気が通っていません。照明のない薄暗い教室の中で、子どもたちは授業を受けていました。

長い間、日本の学校に勤めていた私は、これらの学習環境にとても胸が痛みました。

さらに、先生方とお話をすると、子どもたちの過酷な日常生活がわかりました。

・一日2ドル以下で生活する世帯が多いこと。
・教科書や学習用具が買えない家庭環境であること。
・農繁期の家の手伝いで学校に通えない子どもがいること。
・朝夕の家畜への餌やりや糞のかたづけを当たり前のようにやっていること。
・電気がないため日中に宿題を済ませなければならないこと。
・幼い妹を背負いながら家庭学習をする子どもたちもいること。
・そして、しまいには学校に通わなくなる子どもたちがいること。

カンボジアの子どもたちは、日本の子どもたちとは全く違う環境で暮らしていました。

子どもたちの瞳の輝き

ところが、私の心痛とはかかわりなく、子どもたちは出会うたびに、にこやかな笑顔を返してくれました。

辛いと決して口にすることもありません。

彼らの輝く瞳は、どこからくるのでしょうか。

その答えは、一言では言いようがありません。

ただ言えるのは、彼らにとっては無いことは当たり前のこと。

ものは確かにありませんが、心が満たされています。

学校に通うことでさえも、とても幸せなことなんです。

きっと、彼らは希望という光を信じて生活しているのでしょう。

カンボジアで未だ続く教育問題

でも、やはりこの教育環境で育つ先には困難が待っています。

学びの乏しさは、将来に大きなつけとなって返ってくるからです。

自分の言葉でコミュニケーションがとれない。
英語が全く聞き取れない。
ビジネスを起こすノウハウがない。
だから、物売りにしかなれない。
学びのない子どもたちが歩む道は、決まっています。

内戦により、親の世代が教育を受ける機会を逸した経験を、この子どもたちに繰り返させてはなりません。

貧困の連鎖を、断ち切る必要があります。

そのために、どうしても彼らの学びを続けさせたいのです。

言語教育の向上が課題

カンボジア教育省では、高校生の言語能力がとりわけ低いことを教育課題として指摘しています。

これは、初等教育期からの言語活動の不足に原因があると考えられます。

私たちは、それゆえに、小学校学齢期からの言語活動を活性化させ、思考力・判断力・表現力の基礎を養っていくことがこの子どもたちに最も必要なことだと考えています。

人とのコミュニケーションの礎となる言語能力を高めるのが読書活動です。

読書は、読み書きの力を向上させ、考える力を養い、夢を育みます。

読書する姿(フォトギャラリー)へ

我々が、図書を支援し、より良い活用方法を支援することで、子どもたちの言語活動が向上し、必ず将来の役にたつことを信じています。
図書室が魅力的になれば、子どもたちもこれまで以上に喜んで学校に通います。欠席しがちな子どもも少なくなります。

真の支援とは何か。

今本当に必要とされているものは何か。

チアフルスマイルが行うのは、教育支援です。

学校建設は、大きな支援団体にお任せします。

私たちは、誰もが始められる草の根支援として、まずは「100冊の図書を100校に」を目標に学校図書館の充実を図ります。

そして、現場の教師たちにも図書や教材の活用方法を指導していきます。

描く願いは、「子どもたちの言語能力の向上」です。

皆様からのあたたかいご支援をお願いする次第です。

海外に支援する4つの理由

さて、海外支援活動に関心のある皆さんにお尋ねします。

国内ではなく、海外に支援する意味を考えたことはありますか。

確かに、日本にも生活困窮者はたくさんいますし、支援が必要とされる孤児たち、貧困家庭に育つ子どもたち、ホームレスの人々もいます。

私は、海外支援を考えるときに以下の4つのことを思い浮かべます。

1 日本の戦後も各国からの支援を受けていたという事実

日本の敗戦後、1945年から10年間ほどは、国内は戦災者、浮浪者、孤児であふれかえり、混乱を極めた時代でした。物資や食料が極端に不足し、闇市が流行り、窃盗や強盗が多発し、国民の生活は混乱していました。

そんなときに支援の手を差し伸べたのが、ララ物資とユニセフによる支援です。

当時、大量の物資が、船舶によって、横浜港に運ばれてきました。

厚生省の調査報告書では、ララ物資による支援は、1952年までに、ミルク類,砂糖,塩,醤油,油類,缶詰類,菓子等の食料11,000トン,乳児・児童・大人用の衣料2,750トン,布団綿,原反,靴,石鹸,学用品,食器類,ハミガキ,タバコ,その他日用品,医薬品等1,750トン,山羊2,175頭,乳牛45頭などがあり、それらは、社会事業収容施設・国立病院・国立療養所・保健所・病院・大学・高等学校・小学校・引揚者・戦災者・開拓者・非常災害の罹災者・その他一般生活困窮者等に配分されたと記されています。

当時、延べ1,700万人以上の人々がこの恩恵を受けました。現在70歳以上の方々の世代に当たります。

また、ユニセフからは、1949年(昭和24年)から1964年(昭和39年)までの15年間にわたり、給食用の粉ミルク(脱脂粉乳)のほかに、衣服をつくるための綿や医療品など、当時のお金で65億円もの援助を受けています。

こうした支援により、戦後の困窮した人々の生活が支えられたこと、そして荒廃した人々の心にも希望の光が当てられたことを、私たちはきちんと知っておく必要があります。

2 日本の経済成長は途上国からの資源の輸入や労働力に頼っているという事実

ユニクロやH&Mの生産拠点が東南アジアにあることを、皆さんも何となく知っていることと思います。

縫製労働者たちは、トラックの荷台に立ち乗りして工場に向かいます。

そして、月~土曜日までフルタイムで働きます。月収は、190$です。(2021年現在)とても、十分な給料とは言えません。

ここカンボジアにも、その生産工場が各地にあります。

労働者の数は、数十万人と言われます。彼女たちの暮らしは決して楽ではありません。

皆さんも、ご自分の衣服を見るとき、ぜひこれらのことと関連付けてみてください。

ですから、私たちの生活は、こういった人々の存在によって支えられているということを忘れてはならないと思います。

現地で購入するお土産物を、しつこく値切って買い物をする人をみかけます。値切ることは、悪いことではありませんが、モノには生産者と流通業者がそれで生計を立てているという流通の原則があります。

必要以上に値切れば、彼らの生活をますます苦しめることになります。そんなことも、私たちがよく考えたいことの一つです。

3 日本と海外とでは貧困の度合いが全く異なるという事実

カンボジアの人々が一日に稼ぐ賃金は、日本で稼ぐ1時間の時間給よりも低いことをご存じですか。

下は、11歳の少年が働く様子です。学校に行かず、サトウキビの切り出しの仕事をしています。1日の賃金は、10,000リエル。約280円です。


段ボール紙で風を送って、お金を得る子供たち。自分のためではなく、家族のために稼ぐことを強いられます。

日本で、このような児童労働を見ることはありません。貧困家庭に育つ子供は、社会的に保護される仕組みが整っているからです。

ゴミ山からプラスチックごみや使えるものを集め、お金に変えて生計を立てている子どもたちも大勢います。

カンボジアには、国からの支援はありません。年金もありません。

絶対的な貧困

貧困の度合いが異次元だということもお分かりいただけるものと思います。

4 今も残る戦争の傷跡

日本は、戦後20年で奇跡的な復興を遂げました。1964年には東京オリンピックが開催され、日本の戦後は終わったとまで言われました。

しかし、カンボジアでは、今もなお戦争の傷跡が残ります。

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内戦時代に国境付近に埋められた地雷。

一個20ドルほどで購入できるため、カンボジアにも大量に輸入されました。

ところで、皆さん、なぜ地雷が「非人道兵器」と言われるかご存じですか。

それは、地雷そのものが、相手を殺すことを目的としていないからです。

1個の地雷が敵兵士の足を負傷させます。すると、その負傷した兵士を運ぶために2名の兵士が抱えて歩行しなければなりません。

それにより、3名の敵兵力を減らすことができるというのです。

その被害に遭うのは、一般の人々です。カンボジアでは、こうした多くの被害者を生み出してきました。

カンボジアには、地雷処理省という政府機関があり、国を挙げて地雷処理に当たっていますが、未だに未処理の地雷が600万個埋まっているため、その道のりはたいへん険しいのが実情です。

日本の戦後にも、昭和の時代まで、不発弾が発見されたというニュースがありましたが、今では、そんな心配もなく、人々は安全に暮らせるはようになりました。

私は、カンボジアに支援する理由として、いつもこの4つを自らに問いかけています。