キリングフィールドについては、過去記事で何度も取り上げてきました。
【ここでも殺戮が・・】スバイリエンのキリングフィールド「Wat Koh Chum」
「殺戮の原野」と訳されるこの言葉に、皆さんはどんな印象を抱きますか。
観光でカンボジアに来る方は、多くがプノンペン近郊のチュンエク村にあるキリングフィールドを訪問します。
ここは、観光コースの一つになっていて、外国人の姿ばかりが目立ちます。
今回ご紹介するのは、タケオ州のキリングフィールドです。
多分、これを紹介している記事は見当たりませんので、カンボジアの歴史に関心のある方にとっては貴重なレポートであると思います。
場所は、プノンペンの独立記念塔から国道3号線をひたすら走り、103㎞離れたところにあります。
3号線は、工事が進み、数年前に比べて、かなり走りやすくなりました。
時々、段差に注意が必要な以外は、路面状態はとてもフラットできれいです。
県道から、村道に入ると、こんな感じです。
キリングフィールドの入り口には、こんな看板が立てられていました。
数百メートル走ると、左手にキリングフィールドがありました。

入り口横に、仏像が座っています。そして、奥には慰霊塔が見えます。
訪問客は、私一人です。入場料も必要ありません。

近づいてみます。
何百もの掘り起こされた遺骨が弔われていました。
まず、慰霊碑の前に立ち黙とうをします。
そして、お金を箱に収め、焼香しながら、祈りを捧げました。
掃き掃除をしていたお坊さんが私に近づいてきて、「どこの国の人ですか。」と尋ねられましたので、「日本人です。」と答えたら、「おお、そうですか。ぜひ、見て回ってください。」とご案内してくださいました。
内部には、様々なモニュメントが建てられています。
残念だったのは、ミュージアムが現在閉館中であったことです。

この建物の壁には、壁画が描かれていました。

豪華な夕食を食べる幹部たち 声高々に叫ぶクメールルージュ兵士 穴に連行される囚人たち アメリカ軍による空爆 強制労働 殺戮は夜間に行われた 尋問の様子 後ろ手に縛られて連行される人々 木に吊るされる人 ポルポト以前の学校での様子 平和の象徴であるハト 労働を指示する兵士 助けをこう人 死体を運ぶ牛車 農具で頭をたたき割る
塗装がはげ落ちているので、読みづらいかもしれませんが、拡大してお読みください。
実際に人骨が発掘された場所です。
1970年代、日本が高度成長期を迎えていた時に、カンボジア全土でこのような大虐殺が行われていたことを改めて感じた次第です。
この方々は、多くが教養を持った知識人でした。
カンボジア支援が必要な理由が改めてお分かりいただけたものと思います。
この人々の魂の叫び声を受け止めて、帰りの途につきました。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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今日もあなたに素晴らしい一日が訪れますように、オークン。
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