カンボジアの人々に伝わる迷信

2020年6月23日

カンボジアの迷信

以前、学校訪問の記事にも紹介しましたが、カンボジアの特に田舎に行くと家の前にこんな人形が置かれています。

これは、クメール語で何と呼ばれるのかはわかりませんが、いわゆる魔除けの意味があります。

家の入口からは、様々なものが出入りする。

中には、害悪のある人間も、目に見えないものも存在する。

それらを常時見張り、家に入れないようにするための人形というわけです。

カンボジアの地方部では、医学や科学の力で解決できない問題に直面すると、村の人々はたいがい長老のような立場の方のおまじないを頼りにします。

これは、明らかに医療的手段がないことと、科学的な教育が不十分であることが理由です。

今日では、少なくはなっていますが、奥地の村落へ行くと、未だにそういった風習が存在すると聞きます。

呪術のような方法での医療により、命を落とすこともあります。

カンボジアの食べ物に関する迷信

他にも、カンボジアにはこの類の迷信のようなものが身近にあります。

例えば、仏前のお供え物は、バナナとリュウガンが定石。

リュウガンは、字の通り漢字で竜眼と書きます。

竜の目のような形からそう名付けられたのでしょう。

金色の球がお金が豊富に入ってくる象徴とされていて、現地では縁起の良い果物とされています。

種が少し大きいですが、ライチのようにみずみずしく、ほどよい甘さがあります。

手で簡単に割るように皮をむくことができます。

 

バナナは、房ごとお供えします。

一つに束なっていることから、家族全員がいつも一緒に安泰でいられると信じられています。

以前、友人がお供え用に買ってきたバナナをさりげなく一本だけもいで食べてしまったら、後から怒られたことがありました。

一本でも欠けたら、お供えできないのだそうです。

ちなみにカンボジアのバナナは、日本で食べるフィリピンバナナとは違い、ねっとりとした粘着感と濃厚な甘みが特徴です。

 

反対にお供えには向かないものもあります。

それは、ドリアン

高価な食べ物ですが、決して仏前には備えません。

とげが、仏に対しての反抗を示すからです。

 

日本にはない果樹、バンレイシ。

俗称を釈迦頭と言います。

表皮が、お釈迦様の頭のように見えるからですね。

バンレイシは、クメール語の意味で下方という意味を含んでいます。

運気が下降することから、お供えには向きません。

ただし、味は甘くて、ビタミン豊富です。

日本にもある慣習

日本にも、禁じられた暗黙の行動習慣が確かにあります。

刺し箸・・・仏前に備えるときのみで、生活の場でこれをやるとよく母親から叱られたものです。

箸渡し・・・お骨を拾う時にやるもので、食卓で兄弟間でこれをやった時に怒られた記憶があります。

指し箸・・・箸で人の目を指すことから、やってはいけないとされています。

不文律として、人々が心の中だけに持っているものなので、書き出してみると面白いものです。

カンボジア人の感覚

カンボジア人は、人に対してとても寛容的です。

私のやることも、たいがいのことは大目に見てもらえるのですが、ただ一つ、カンボジアでは、人前で音を立てて鼻をかむと、とても嫌がられます。

ヨーロッパにいた時には、相席をしているドイツ人は至近距離で相手の目を見ながら鼻をかんでいたものです。

鼻から出るものは汚いということか、音をたてることがゆるされないということでしょう。

でも、それでいて、カンボジアの人は、食べ物をクチャクチャと音を立てながら食べるのです。

ヨーロッパでは、これは最も嫌がられる行為です。

 

ところ変われば、様々な習慣があります。

これからも、その違いを楽しみたいと思います。

現代まで不文律として語り継がれているものが他にもたくさんあることでしょうから。


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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