ポルポトと幹部たちのその後

カンボジアの歴史

ポルポト政権崩壊後の複雑な歴史

1979年、カンボジアにベトナム軍を味方につけたヘンサムリン政権が誕生すると、ポルポト率いるクメールルージュは、タイ国境近くのコッコン州とバッタンバン州に潜伏し、政権側との内戦状態を継続しました。

新政権に対して、アメリカ・ヨーロッパ諸国・中国は、ヘンサムリン政権はベトナム軍による傀儡政権であると主張し、クメールルージュらの3派連合を支援し続けました。また、隣国タイもベトナムの進出を脅威に感じ、クメールルージュを支持する立場を取りました。

新政府の要職に就いていた人々は、ほぼ元ポルポト軍の地方幹部で、ちなみに現フンセン首相もベトナムと国境を接する地方を統括する要職に就いていました。

このようにして、ポルポトを離反してベトナムを味方につけた元兵士軍とそれに反対するポルポト軍ら3派連合との抗争が長らく続くことになったのです。

これが、ポルポト政権後の内戦の始まりです。

 

しかし、その背後には、大国の存在がありました。

 

ベトナム・ソ連の支援を受けて、国家を統制しようとする政府軍

中国・タイの支援を受けて、反抗するクメールルージュ軍

 

ポルポトの圧政後の内戦は、いわばソ連と中国の代理戦争のようなものだったのです。

 

この内戦は1996年まで続き、政府がポルポト軍指導部のためにパイリンという場所を提供するという譲歩によって終結を見ました。

クメールルージュの組織自体も、軍の上層部や兵士たちの離反があり、もはや統制の取れない状態になっていたと言われてます。

地図を確認していただくとわかりますが、バッタンバン州のタイとの国境に当たる西側の一角にパイリン特別区と記されています。(下地図の枠で囲まれた部分)

ここに、クメールルージュの元兵士たちが現在も居住しています。

このパイリン地区は、ルビーなどの宝石が採掘できる場所として有名。

クメールルージュ政権時代の副首相であったイエン・サリがここで実権を握り、映画「地獄の黙示録」さながらの帝国を築いていたというのは、あまり知られていない話です。

クメールルージュのその後

ポルポトの元兵士たちは、決まって言います。

「命令に従っただけだ。」

「やらなければ、自分が殺されていた。」

 

そう、戦いが終われば、元兵士たちも普通の人間だった。

カンボジアの深い闇はここにあります。

 

カンボジアは、未だに、

被害者と加害者が共存する国

なんです。

 

ポルポト派のリーダーたちは、国際軍事法廷にて裁かれ、終身刑の判決を受けました。裁きを受ける前に病死した幹部もいます。

 

彼らの有罪判決を喜ぶ、トゥールスレン収容所の生き証人のチュンメイさん。

トゥールスレン博物館に行けば、彼にお会いすることができます。

ポルポトと幹部たちの最後

ポルポト(本名サルト・サル)も、最後は1998年4月15日、カンボジア北部の町アンロンベンで死去しています。病死とも毒殺ともいわれていますが、真相は不明のままです。

晩年は、クメールルージュ内でも派閥闘争が起こり、実権を握っていたタモクによって毒殺されたというのが大筋の見方です。

ポルポト自身が死の間際にジェノサイドに対する罪に対して、釈明の弁として以下のように答えています。

「一般の人々を暗殺するために戦いに加わったのではない。」

「私の心の中には、いつも平穏な心がある。」

これをどのように捉えるかは、皆さんにお任せしようと思います。

【日本語字幕】「ポル・ポト 最後のインタビューと死」を動画でご覧ください。

【日本語字幕】ポル・ポト 最後のインタビューと死 – The last interview with Pol Pot

他の主要な幹部たちも、既に多くが死んでいます。

上段左から、イエンサリ、イエンチリト、ヌオンチア。 下段左から、キューサムファン、カンケイウ。

元副首相 

イエン・サリ (2013年3月14日 87歳没)

クメールルージュ内部では第3の地位にあったと言われ、多くの虐殺に対して指揮を執る立場にありました。パイリンの豪邸で優雅な暮らしをしていたと言われています。

 

サリの妻 元社会問題相 

イエン・チリト2015年8月22日 83歳没)

チリトは、長らく認知症を患っていて、自宅で静養中に亡くなりました。

 

人民代表議会議長でNO.2の地位 

ヌオン・チア(2019年8月4日 93歳没)

昨年、プノンペン市内の病院にて亡くなっています。国際裁判では、非人道的な行いについては認めましたが、自分には実権がなかったとして、無実を主張し続けました。

 

元国家元首 

キュー・サムファン(現在 89歳 終身刑)

大量虐殺の存在は認めましたが、自身の罪に対しては否認し続けています。

 

元S21所長 

カン・ケ・イウ(現在 78歳 終身刑)

悪名高いトゥールスレン収容所の元所長。長年身を隠していましたが、タイ国境近い森の中で、難民救済活動に従事していたところを発見、逮捕されています。通称ドッジと呼ばれている。

 

でも、幹部たちがあの世に行ったところで、親兄弟を亡くして生き延びた人々の悲しみと憎しみが消え去ることはありません。

カンボジアが未来に向かってすすむためには

フンセン首相は、

「昔のことは忘れるべきだ。」

と言います。

憎しみを容認すれば、暴動が起こることが目に見えているからです。

事実、上の幹部の一人キュー・サムファンは、1991年バンコクから帰国したところを、ポルポト時代の虐殺への怒りをたぎらせた群衆たちに袋だたきにされています。

カンボジアの人々は、普段は表には出しませんが、心の中では決して忘れてはいません。

 

クメール人にとって、家族は最も大切なもの。

その家族を殺された人々の心が、癒される日が来るのかどうかは疑問です。

 

クメールルージュの兵士たちは、多くが少年少女でした。

彼らは、一生その罪を背負いながら、今もなお生き続けています。

これも、不幸なことです。

真実を伝えることの大切さ

私も、ポンナレット久郷さん、家族を亡くされた多くの人々の生の声を聞いた経験から、そのことを良く理解しています。

1975年ポンナレットさんは、クメールルージュに父を殺され、母と兄弟姉妹と共にプノンペンからコンポントムへ強制移動させられました。そこで過ごした地獄のような日々。命からがら生き延び、タイのキャンプで保護されました。そして、難民として来日。16歳で日本の小学校で学び、幾多の努力の結果、日本語で不自由なく読み書きができるようになりました。

その彼女が、激動の人生を書き綴った著書です。

涙なしには、読めません。

「虹色の空」<カンボジア虐殺>を越えて 1975-2009

 著者 久郷ポンナレット   春秋社 2009年5月30日発行

第1部 色のない空 カンボジア 1975-1980
輝いた日//惨劇の始まり/故郷を奪われて
トノート村/深まる闇/絶望の淵に
生きている/地雷原を越えれば

第2部 同じ空の下で 日本 1980-2004
希望の星/二つの世界/差別と絆
新しい家/はじめての帰郷/生きるための言葉

第3部 祈りの旅へ カンボジア/日本 2004-2009
夢に導かれて/地獄の門を抜けて/クメールの微笑
母との約束

尾木ママ推薦! 1970年代、カンボジア。10歳の少女が体験した戦争。
著者が体験した悲劇のあまりの凄惨さに言葉を失う。
過酷な環境を生き抜いた彼女が、今この国で命をつなぎ、共に生きているということ。
その平和を守れるのはほかでもない私たち自身であることを忘れてはならない。

教育評論家 尾木直樹

誰も知り得ないポルポト時代に起こった真実がこの本で明らかにされています。

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ジャーナリストでもない私が、この国の出来事にここまで関心を持って書き綴るのは、支援の原点がここにあるという理由から。

そして、一人でも多くの人に、カンボジアで起きた歴史の真実を伝えるため。

この暗黒の時代に失われた教育を取り戻すために、私はここに留まっています。

*以前、バッタンバンのキリングフィールドの記事の中に書かれていたものを抜き出して再構成しました。


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